私の根っこにある、大切にしていることは ”FLAT”、誰とでもフラットに関わることです。
大人も、かつては、子ども。先生も、かつては、生徒。上司も、かつては、部下。
役割が変わっただけ。そこに、人としての上下関係はないですね。
幼い頃、たまーに「お母ちゃん、ご飯たべさせてくれよー」と、ドラマの中でしか見ないような怖い風貌のおじさんがやってきました。その人は”ともさん”と呼ばれていました。
その怖いおじさんの他にも、「電車賃がないからお金貸してください」と開けっ放しの玄関を開けてやってくる人は、ちらほら。。実家は、商店街の中にある小さな小さな寺。昭和の時代の寺にはあるあるのことかもしれません。
ともさんが「ご飯たべさせてくれよー」とやってくると、母は、その時にあるもので、ささっとご飯の支度をして、他の人に出すように、ちゃんと茶碗とお皿、お箸でもてなします。
ある時、兄から「ともさんは、人殺しをして刑務所に入っていたんだって」と聞きました。
もう、ビックリです。怖いはずだ。そして、驚きとともに疑問が湧きました。
「なんで、人殺しをした人にご飯だすの?」と母に聞いたところ、
「ここは寺だよ。寺を頼ってきた人はみんな同じ。だから、あるものだけだけど、茶碗も箸も、ちゃんと他の人に出すのと同じものにするんだよ。ここは寺だからね」と返ってきました。
ある時、ともさんが「お母ちゃん、金くれよー」と言ったときは、いつもの母とは違いました。
毅然とした態度で「ご飯は食べさせるけど、お金は電車チンこれだけだよ」と、初乗りの料金を渡したのです。
ともさんは、「お母ちゃんは怖いからな~」仕方ないなという顔で帰って行きました。
この玄関先での出来事は、今でもはっきり覚えています。怖くて、障子の隙間からチラッと覗いていたことも
こういう母から受け取ったことは”フラット” に関わること。もちろん、幼かったこの頃はそんなことは意識したことがありません。
自分の軸となっている”フラット”は、大人になって、社内公募でやりたい仕事に就いた時に、気づいたのです。
どうしても、やりたかった仕事に就けたのはいいけど、新卒用の教育はあるけど、転職者用にはない。でも、贅沢は癒えない。やりたいことができるのだから…と
新しい職場で入社2年目の若手女子。歳下だけど、その仕事では先輩。なので、素直に教えて!とお願いしたのです。社歴は自分の方が長くても、その仕事は新米。教えてとお願いするのに恥ずかしいなんて思いませんでした。
彼女たちはとっても優秀で、理解力の低い私が何度も聞いてもイヤな顔一つせず教えてくれたのです。もう、感謝しかありません。もう必死で、学びました。
そして、何とか一人歩きできるようになった頃、年下の先輩の一人から言われたのです。
「山口さんは、年下の私たちに先輩風ふかせることなく、いつも低姿勢で聞いてきて、誰よりも頑張っていて凄いな―と思ってた」と… もう、めちゃくちゃ嬉しかったです。
その彼女とは仕事を離れても繋がっていて、友達歴40年以上、年に一度は会っています。
彼女に「年下の私たちに…」と言われて、「年齢は関係ないよ、その仕事では先輩、私は後輩で、教えてもらう立場だから当たり前だよ。」と伝えたときに、これは普通のことじゃないの?と不思議に思ったのです。
そして、これは、幼いことから見てきた母のお陰だなと気づいたのでした。
この大切なことは、わが娘にも受け継がれています。
フラットが私の軸の一つなので、屋号を「FLAT・ふらっと・フラット」にしました。
このロゴは、娘に頼んで、手書きにで書いてもらったものです。